宗教による同性愛者、性的マイノリティーへの差別は、その背景に宗教の教義に背くという理由が大半です。
宗教による人格の否定や、家族からの断絶、社会からの拒絶感から多くのLGBTQ+性的マイノリティーの方は、
自己のアイデンティティーの喪失や、社会や家庭での居場所を失っています。
また国によっては法律上の壁(違法性、逮捕、死刑など)も残っています。
同 性 愛

日本ではあまり問題にならないかもしれませんが、宗教教義や慣習により多くの国で同性愛は禁止され、ひどい場合犯罪として処罰されます。
キリスト教による同性愛の否定は、旧約聖書のソドムとゴモラの町が、性の淪落によって同性愛、獣との淫行、悪霊との淫行まで堕落したと言われている所以です。
そもそも宗教で同性愛が禁じられているのは、肉体の性的欲望意識に基づく結婚観によるものです。
種の保存と版図の拡大のために、生命体の連鎖を絶やさず後世に残すためであり、
その目的が果たせない同性愛は許されるものではなかったのでしょう。
同性愛を宗教で禁じると、宗教経典という絶対的なものとして反論を許されないために存在自体が否定されることになります。
トランスジェンダー
トランスジェンダーの人達は、心の性と体の性の不一致に悩まされています。
しかし、体(肉体)と心(意識体)は全く別物であることを明確に理解しているのです。
そして、性転換手術も自分である「意識体の性」に合わせて、
他人である「肉体の性」の転換を行います。
そして我々の肉体は他人なのです。所詮肉体は他人ですから、
無責任な無知なる人達の批判や評価など一切気にすることなく、
自分である意識体に基づいて正々堂々と正直に生きていくべきだと思います。
そして、社会はそれを全面的に受け入れていくべきです。
なぜならば、「運命の主人」または「人生の主体」は、
「自分である意識体」であって、決して「他人である肉体」ではないからです。

本当の自分で生きることの提案

本当の自分である意識体の存在以外は、すべて他人です。
他人である肉体に支配された価値観で生きるのをやめて、
本当の自分で生きることを始めませんか。
肉体は他人であるという事実のもと、本当の自分を軸に生きれば、
肉体の性と自分との間の葛藤のほとんどがきっとどうでもいいものになっていくでしょう。
何ものにも依存しない自立。
すべてが自己責任原則と自立を前提に、自分以外の存在、他人である両親、
その他人からいただいた肉体と本当の自分である意識体をはっきりと峻別することにより、
本当の自分が運命の主人、人生の主体である生き方を提案させていただいています。